足立区議会 2022-09-27 令和 4年 9月27日区民委員会-09月27日-01号
ちょうどあそこには、学童疎開の方々の資料などが保管をされて、保管することができて、喜んでいらっしゃるわけですけれども、被爆者の方々のいろいろな資料、この間もアリオで展示をやりましたけれども、その資料を預ける場所がないと。
ちょうどあそこには、学童疎開の方々の資料などが保管をされて、保管することができて、喜んでいらっしゃるわけですけれども、被爆者の方々のいろいろな資料、この間もアリオで展示をやりましたけれども、その資料を預ける場所がないと。
ミュゼには、滝野川区の児童二千人の学童疎開と、町民である鈴木ひでさんの戦前戦後の子どもたちの日常を描いた絵手紙の常設展示がありました。 そして、ミュゼは二〇二〇年に語り継ぐ戦争という企画展で、滝野川国民学校の子どもたちの飛鳥山公園での運動会や、疎開先での日常が映された十六ミリフィルムを上映しました。このフィルムは、元疎開児童が北区中央図書館に寄贈したものです。 そこで質問します。
今回、議会と区が共催で空襲の被害の慰霊祭ということをやるということで、実際に足立区でも空襲があったとか、実際学童疎開をやっていたということも、そういうことも是非掲載していただきたいし、あと荒川放水路、あれを私たちは当然人力で掘って造ったと知っていますけれども、今の子ども知らない子もいるという話を聞いたので、足立の風物として本当に象徴的な風景なわけですよ。
郷土博物館での戦跡の展示会につきましては、焼夷弾やB29のプロペラなどの常設展示を行っているほか、今年の夏には、「足立の学童疎開を語る会」の方々と協力しながら、学童疎開について展覧会を実施する予定です。 ◎大山日出夫 教育長 私からは、大学生、専門学校生への支援に関する御質問について、一括してお答えいたします。
例えばこの、戦争の当事者の方々も、所管によって、結構持ってるチャンネルいっぱいあるんだな、という話なんですが、福祉部のほうでは当然、遺族の方へのいろいろ、恩給だったり弔慰金だったり、そういうつてはあると思いますし、一方で地域のちから推進部の方では、学童疎開を一緒にした人たちの経験を聞く会等、交流がある。
(1)現在、御存命の方でも、戦争当時、物心のついた年齢でしっかりとした記憶がある世代は学童疎開の経験者や勤労動員の経験者、復員してきた元軍人など、若くても80代後半以上と思われます。したがって、現在がオーラルヒストリーをとる最後のチャンスであると認識しています。 特に足立区は戦時中、空襲により区役所が大きな被害を受け、ほとんどの記録が焼失してしまいました。
例えば区の平和展などで学童疎開を紹介して展示している史談会とか、あと連絡協議会か、参加している解説ボランティア博友会とか、いろいろな方々が意欲を持って参加をされているというところでは、こういう方々はその基準には入っていらっしゃらないのか、その辺もお聞きしたいのですが。 ◎生涯学習支援室長 御説明させていただきます。 現在、郷土博物館連絡協議会と協働グループ連絡会という2つの会がございます。
また、学童疎開では、1万2,000人近くのこどもたちが親元を離れ、新潟や山形に移り住むことを余儀なくされました。 そのような歴史的な経験を踏まえ、戦争の惨禍と平和の尊さを後世まで伝承していく平和事業への取組は、本区にとって非常に重要なものと認識しております。
3点目は、学童疎開の件は、江東図書館で分かりやすく、場所がここにあるよというのを書いていただいてよかったんですけれども、3月10日の大空襲のことがないんですよね。各学校の周年行事等に行ったら、各学校で3月10日にこういう状態だったという写真等が掲げられているところもあるんですけれども、3月10日の大空襲の資料というのはどういうふうに位置づけられているか。
241 ◯江東図書館長 学童疎開資料室運営事業の今後の取組についてのお尋ねです。 図書館では、今年度、区内で学童集団疎開や東京大空襲を経験された方に出演を依頼し、その貴重な体験談を後世に残すべく映像資料を作成し、江東区公式YouTubeチャンネルでの配信や、DVD資料として、一般貸出しを開始したところでございます。
区は、これまでも平和の大切さや尊さをあまねく区民の皆様に広くお伝えしていくため、平和パネル展の開催や東京空襲関連パネル展の開催に加え、次代を担う子どもたちを対象とした平和に関する紙芝居や映画鑑賞の実施、学童疎開の絵日記の展示、平和首長会議が主催する絵画コンテストへの参加等の各種取組を実施してまいりました。
◆中道貴 委員 鶴岡との交流がこの5月29日をもって40周年ということで一つの大きな節目を迎えると思うんですが、やっぱりこの鶴岡だけじゃないんですけれども、特に私は鶴岡との交流で、学童疎開の歴史という大変重い歴史がお互いのまちにはあって、そういう意味でいうと、今80代半ばぐらいでしょうか、大体昭和9年、10年、11年あたりお生まれの方々が多分疎開されたと思うんですけれども、そういった方々のお声をぜひ
歴史をひもときますと、かつて戦時中の話なんですが、空襲の危険が高まると、都会の子どもたちは地方に学童疎開して、難を逃れていたということがありました。松本市の和田地区にも、世田谷の奥沢国民学校、現在の奥沢小学校のことなんですが、奥沢小学校のおよそ四千人を超える児童たちが集団疎開をしたということなんです。
また、特にご紹介したいところは、昨年は、鶴岡市との友好都市を結ぶきっかけとなりました学童疎開から75周年ということで、疎開団体の皆様20名ほどでございましたけれども、鶴岡市を訪問されまして、親睦を深められております。非常に印象的な交流がございましたので、この場を借りてご紹介させていただきます。
学童疎開をしながらやっていたわけですから。もうこれだけ、2か月間お休みの状況が続いているというのをいま一度、教育というところの視点から見直して、これからの、6月以降の学校教育に生かしていただきたいと思いますけれど、どうでしょうか。 ○委員長 指導課長。 ◎瀧田健二 指導課長 今のご意見を頂戴して、本当に様々な面で研究を進めてまいりたいと思います。ありがとうございます。
○答弁1(学務課) 日光市に確認したところ、港区の旧南海国民学校の児童が、日光市の川治小学校の前身である、藤原町第2国民学校に集団学童疎開した際に、一緒に運んだピアノは、2010年に川治小学校が廃校になったため、現在は、日光市の自治会の所有となっております。 また、このピアノは、港区との交流の経緯を語り継ぎ大切に保管され、現地の少年少女合唱団のコンサート等で使用されている状況です。
初めに、平和資料の展示機会の拡充についてのご質問ですが、郷土資料館では、戦時中の写真資料を中心に、空襲被害や学童疎開、成増飛行場などの関連資料を多く収蔵しております。社会科見学で多くの子どもたちが訪れる郷土資料館においてこれらの資料を展示することが、戦争や平和について考える機会の提供につながるものと考えています。
最後に、中之条町と連携し学童疎開を語り継ぐ取組について伺います。 昨年、私は友好都市である群馬県中之条町に議員交流団の一員として参加し、歴史と民俗の博物館Muse‘eを見学し、中之条町と北区の交流の始まりである学童疎開の話をお聴きしました。
こちら盟約に至った経緯は、学童疎開でございます。第二次世界大戦中に3,700名の学童の方が鶴岡市にお世話になったというところで、区民と市民さんとのもうそれぞれがさまざまな交流をしていたというところで、昭和56年に盟約を結ばせていただいております。 こちらの鶴岡市も、例に漏れず1市4町1村が合併して現在の鶴岡市が誕生しております。 今年は非常に鶴岡との交流が深くあった年でございます。
私も先日見学してきたのですが、書籍やDVDなどがその場で見られるライブラリー、展示では学童疎開が充実していました。巡回展や出前授業もここから発信されているそうです。 被爆者団体の光友会からも、ばらばらになりつつある資料や区民の戦争戦災証言記録集を含め、一括して展示する平和資料館の建設の要望が出されております。区として、これまで平和資料館の建設を検討したことがありますでしょうか、伺います。